- 日本のビール
歴史
日本においてビールは、1613年(慶長18年)に長崎県平戸市に渡り、1724年(享保9年)にオランダの商船使節団が江戸に入府した際には、8代将軍・徳川吉宗に献上されました。
日本での外国人による醸造は、1812年に長崎の出島において、オランダ商館長のヘンドリック・ドゥーフの手によるものが最初です。 開国後の1869年(明治2年)には、横浜の外国人居留地、山手46番にウィーガントらによって、「ジャパン・ブルワリー」が設立され、 翌年にはアメリカ人・コープランドが「スプリング・ヴァレー・ブルワリー」を設立。 ビールの醸造製造を始め、主に居留地の外国人や上流階級の日本人向けに販売し、 輸出もしました(後に、ジャパン・ブルワリーは閉鎖、ウィーガントは別の工場ババリア・ブルワリーを興しましたが、最終的にはコープランドのスプリング・ヴァレー・ブルワリーと合併します)。
日本人による醸造は、1853年に蘭学者の川本幸民が、江戸で醸造実験を行ったのが最初とされます。 産業としての醸造は、1869年(明治2年)に、当時の品川県知事であった古賀一平が土佐藩屋敷跡(現在の東京都品川区大井三丁目付近) にビール工場を建造し製造を開始したのが最初とされます。 ただし、規模の大きさから、1872年に、大阪市で渋谷庄三郎が「渋谷ビール」を販売したのが最初とする説もあります。 その後、1874年(同7年)には甲府で野口正章により「三ツ鱗ビール」が設立され、1876年(同9年)には北海道で官営ビール事業として、 北海道開拓使札幌麦酒醸造所が中川清兵衛を中心に設立されました(翌年「札幌ビール」を発売した)。
1885年(明治18年)、グラバーや三菱の岩崎弥之助らにより、「スプリング・ヴァレー・ブルワリー」は「ジャパン・ブルワリー・リミテッド」に引き継がれ、 1888年(同21年)には「キリンビール」が発売されました。 1886年(同19年)には、北海道開拓使の官有物払下により、札幌麦酒醸造所は北海道庁から大倉組に払い下げられ 1888年に「札幌麦酒会社」が設立されました。 1877年(同10年)には「日本麦酒株式会社」が設立され、 1890年(同23年)に「ヱビスビール」を発売しました。 また、1889年(同22年)には「大阪麦酒株式会社」が設立され、1892年(同25年)に「アサヒビール」を発売しました。
このように大資本から地方の中小醸造所まで、明治期には地ビールブームが起き、全国で100社近くの醸造所が設立されました。 しかし、1900年(明治33年)に北清事変(義和団の乱)が起き、軍備増強のため、翌年からビールに酒税が課せられることになると状況は一変します (それまで、酒税は清酒にのみ課されていた)。中小の醸造所は、酒税法に定められた最低製造数量基準を満たすことができずに、 相次いで倒産、または大資本へと吸収され、ビール業界は再編されました。 1906年(同39年)には、日本麦酒、札幌麦酒、大阪麦酒が合併して「大日本麦酒」が設立され、 また、1907年(同40年)には、三菱財閥がジャパン・ブルワリー・リミテッドを引き継いで「麒麟麦酒」(キリンビール)が設立されました。 その後、1928年(昭和3年)に「壽屋」(サントリー)が「日英醸造」を買収し、ビール業界に一時参入したものの、 1934年(昭和9年)にはビール工場を「麦酒共同販売」に売却して、ビール業界から撤退しました。
第二次世界大戦後、GHQは産業界の独占・寡占の一掃を図って集中排除法を制定させます。 ビール業界も集中排除の対象となり、大日本麦酒は「日本麦酒」(サッポロビール)と「朝日麦酒」(アサヒビール)に分割されました。 1957年(昭和32年)には、沖縄県で「オリオンビール」が設立され、同年には宝酒造もビール業界に参入して「タカラビール」 を発売しました(宝酒造は1967年に撤退)。1963年(同38年)にはサントリー(壽屋から社名変更)がビール業界に再び参入しました。 こうして、いくつかの新規参入はあったものの、1967年の宝酒造撤退後は長らくビール業界はキリン・アサヒ・サッポロ・サントリー・オリオンによる5社 (オリオンに対する各種優遇措置などの特殊事情のある沖縄以外では、事実上オリオンを除く4社)の寡占状態になっています。
1967年(昭和42年)、新技術(精密濾過機を使用し熱処理を行わず酵母菌を除去)を用いた生ビール、サントリー「純生」が発売されたましたが、 生ビールの解釈(酵母菌の有無)を巡ってサントリーと競合他社が意見を対立させ『生ビール論争』が発生しました。 この論争は1979年、公正取引委員会が生ビール、ドラフトビールの定義を(酵母菌の有無には関係無く) 「熱処理をしないビール」と公示したことにより、結果的にサントリーの主張が認められた形で終末を迎えました。
1987年(昭和62年)に販売したアサヒスーパードライが多く売れ、日本国外では、中国、タイ、イギリス、チェコ、カナダで生産、販売されています。
この頃から暖房機能付きエアコンや石油ファンヒーター等、一般家庭における冬場の暖房設備の充実により、 それまでの「夏はビール、冬は日本酒や焼酎」といったスタイルから、冬場でもビールが売れていくように変化していきました。 また、この現象はアイスクリームでも見られたようです。
1994年(平成6年)、酒税法が改正されて最低製造数量基準が緩和されました。 これにより、一気に全国各地で地ビールが醸造され始め、地ビールブームが再現されます。ただ、寡占5社が占めるシェアは依然大きく、2008年現在地ビール全体のビール業界におけるシェアは1%を満たしていません。
日本での外国人による醸造は、1812年に長崎の出島において、オランダ商館長のヘンドリック・ドゥーフの手によるものが最初です。 開国後の1869年(明治2年)には、横浜の外国人居留地、山手46番にウィーガントらによって、「ジャパン・ブルワリー」が設立され、 翌年にはアメリカ人・コープランドが「スプリング・ヴァレー・ブルワリー」を設立。 ビールの醸造製造を始め、主に居留地の外国人や上流階級の日本人向けに販売し、 輸出もしました(後に、ジャパン・ブルワリーは閉鎖、ウィーガントは別の工場ババリア・ブルワリーを興しましたが、最終的にはコープランドのスプリング・ヴァレー・ブルワリーと合併します)。
日本人による醸造は、1853年に蘭学者の川本幸民が、江戸で醸造実験を行ったのが最初とされます。 産業としての醸造は、1869年(明治2年)に、当時の品川県知事であった古賀一平が土佐藩屋敷跡(現在の東京都品川区大井三丁目付近) にビール工場を建造し製造を開始したのが最初とされます。 ただし、規模の大きさから、1872年に、大阪市で渋谷庄三郎が「渋谷ビール」を販売したのが最初とする説もあります。 その後、1874年(同7年)には甲府で野口正章により「三ツ鱗ビール」が設立され、1876年(同9年)には北海道で官営ビール事業として、 北海道開拓使札幌麦酒醸造所が中川清兵衛を中心に設立されました(翌年「札幌ビール」を発売した)。
1885年(明治18年)、グラバーや三菱の岩崎弥之助らにより、「スプリング・ヴァレー・ブルワリー」は「ジャパン・ブルワリー・リミテッド」に引き継がれ、 1888年(同21年)には「キリンビール」が発売されました。 1886年(同19年)には、北海道開拓使の官有物払下により、札幌麦酒醸造所は北海道庁から大倉組に払い下げられ 1888年に「札幌麦酒会社」が設立されました。 1877年(同10年)には「日本麦酒株式会社」が設立され、 1890年(同23年)に「ヱビスビール」を発売しました。 また、1889年(同22年)には「大阪麦酒株式会社」が設立され、1892年(同25年)に「アサヒビール」を発売しました。
このように大資本から地方の中小醸造所まで、明治期には地ビールブームが起き、全国で100社近くの醸造所が設立されました。 しかし、1900年(明治33年)に北清事変(義和団の乱)が起き、軍備増強のため、翌年からビールに酒税が課せられることになると状況は一変します (それまで、酒税は清酒にのみ課されていた)。中小の醸造所は、酒税法に定められた最低製造数量基準を満たすことができずに、 相次いで倒産、または大資本へと吸収され、ビール業界は再編されました。 1906年(同39年)には、日本麦酒、札幌麦酒、大阪麦酒が合併して「大日本麦酒」が設立され、 また、1907年(同40年)には、三菱財閥がジャパン・ブルワリー・リミテッドを引き継いで「麒麟麦酒」(キリンビール)が設立されました。 その後、1928年(昭和3年)に「壽屋」(サントリー)が「日英醸造」を買収し、ビール業界に一時参入したものの、 1934年(昭和9年)にはビール工場を「麦酒共同販売」に売却して、ビール業界から撤退しました。
第二次世界大戦後、GHQは産業界の独占・寡占の一掃を図って集中排除法を制定させます。 ビール業界も集中排除の対象となり、大日本麦酒は「日本麦酒」(サッポロビール)と「朝日麦酒」(アサヒビール)に分割されました。 1957年(昭和32年)には、沖縄県で「オリオンビール」が設立され、同年には宝酒造もビール業界に参入して「タカラビール」 を発売しました(宝酒造は1967年に撤退)。1963年(同38年)にはサントリー(壽屋から社名変更)がビール業界に再び参入しました。 こうして、いくつかの新規参入はあったものの、1967年の宝酒造撤退後は長らくビール業界はキリン・アサヒ・サッポロ・サントリー・オリオンによる5社 (オリオンに対する各種優遇措置などの特殊事情のある沖縄以外では、事実上オリオンを除く4社)の寡占状態になっています。
1967年(昭和42年)、新技術(精密濾過機を使用し熱処理を行わず酵母菌を除去)を用いた生ビール、サントリー「純生」が発売されたましたが、 生ビールの解釈(酵母菌の有無)を巡ってサントリーと競合他社が意見を対立させ『生ビール論争』が発生しました。 この論争は1979年、公正取引委員会が生ビール、ドラフトビールの定義を(酵母菌の有無には関係無く) 「熱処理をしないビール」と公示したことにより、結果的にサントリーの主張が認められた形で終末を迎えました。
1987年(昭和62年)に販売したアサヒスーパードライが多く売れ、日本国外では、中国、タイ、イギリス、チェコ、カナダで生産、販売されています。
この頃から暖房機能付きエアコンや石油ファンヒーター等、一般家庭における冬場の暖房設備の充実により、 それまでの「夏はビール、冬は日本酒や焼酎」といったスタイルから、冬場でもビールが売れていくように変化していきました。 また、この現象はアイスクリームでも見られたようです。
1994年(平成6年)、酒税法が改正されて最低製造数量基準が緩和されました。 これにより、一気に全国各地で地ビールが醸造され始め、地ビールブームが再現されます。ただ、寡占5社が占めるシェアは依然大きく、2008年現在地ビール全体のビール業界におけるシェアは1%を満たしていません。
- 日本のビールの銘柄
日本のビールの銘柄 では、日本のビール会社大手4社(キリンビール・アサヒビール・サッポロビール・サントリー)が製造・販売するビール系飲料の代表的な銘柄(2010年時点)を紹介します。
ヱビスビール(サッポロビール)
ザ・プレミアムモルツ(サントリー)
熟撰(アサヒビール)
ラガー(キリンビール)
一番搾り(キリンビール)
スーパードライ(アサヒビール)
ザ・マスター(アサヒビール)
黒ラベル(サッポロビール)
モルツ(サントリー)
麒麟淡麗〈生〉(キリンビール)
淡麗グリーンラベル(キリンビール)
淡麗ダブル(キリンビール)
キリンゼロ〈生〉(キリンビール)
円熟(キリンビール)
本生ドラフト(アサヒビール)
本生アクアブルー(アサヒビール)
クールドラフト(アサヒビール)
スタイルフリー(アサヒビール)
北海道生搾り みがき麦(サッポロビール)
MDゴールデンドライ(サントリー)
ダイエット〈生〉(サントリー)
ドラフトワン(サッポロビール)
ジョッキ〈生〉のみごたえ辛口(サントリー)
コクの時間(キリンビール)
ホップの真実(キリンビール)
サウザン〈1000〉(キリンビール)
クリアアサヒ(アサヒビール)
アサヒオフ(アサヒビール)
麦搾り(アサヒビール)
ストロングオフ(アサヒビール)
麦とホップ(サッポロビール)
オフの贅沢(サッポロビール)
金麦(サントリー)
ポイントゼロ (アサヒビール)
スーパークリア (サッポロビール)
ファインゼロ (サントリー)
プレミアムビール
ヱビスビール(サッポロビール)
ザ・プレミアムモルツ(サントリー)
熟撰(アサヒビール)
ビール
ラガー(キリンビール)
一番搾り(キリンビール)
スーパードライ(アサヒビール)
ザ・マスター(アサヒビール)
黒ラベル(サッポロビール)
モルツ(サントリー)
発泡酒
麒麟淡麗〈生〉(キリンビール)
淡麗グリーンラベル(キリンビール)
淡麗ダブル(キリンビール)
キリンゼロ〈生〉(キリンビール)
円熟(キリンビール)
本生ドラフト(アサヒビール)
本生アクアブルー(アサヒビール)
クールドラフト(アサヒビール)
スタイルフリー(アサヒビール)
北海道生搾り みがき麦(サッポロビール)
MDゴールデンドライ(サントリー)
ダイエット〈生〉(サントリー)
第三のビール
その他の醸造酒(発泡性)①に属するもの
のどごし生(キリンビール)ドラフトワン(サッポロビール)
ジョッキ〈生〉のみごたえ辛口(サントリー)
リキュール(発泡性)①に属するもの
ストロングセブン(キリンビール)コクの時間(キリンビール)
ホップの真実(キリンビール)
サウザン〈1000〉(キリンビール)
クリアアサヒ(アサヒビール)
アサヒオフ(アサヒビール)
麦搾り(アサヒビール)
ストロングオフ(アサヒビール)
麦とホップ(サッポロビール)
オフの贅沢(サッポロビール)
金麦(サントリー)
ノンアルコールビール
フリー(キリンビール)ポイントゼロ (アサヒビール)
スーパークリア (サッポロビール)
ファインゼロ (サントリー)
